重要無形民俗文化財の幡祭りに参加!

こんにちは!スタッフのオダちゃんです。
12月2日、3日と週末に福島県二本松市に古くから伝わる木幡地区の幡祭に参加するため、男性7名、女性2名で福島へ行ってきました。幡祭の本番は日曜日ですが土曜日の夕方に水垢離(みずごり)と呼ばれる身を清める儀式がありますが、夕方からなので、それまでは自分達の昼食を準備するため二本松市東和地区の地元の方にうどん打ちを教えてもらいます。
材料(小麦粉、塩、水)や作り方はシンプルですが、一からうどんを打ち、自分で打ったうどんを昼食に食べるという経験は無いので、みんな楽しみながら打つことができました。コシのあるうどんが作れたかは想像にお任せしますが、思い思いの太さで、おそばみたいな細さで作った人や、極太で作った人、それぞれ個性豊かなうどんを打つことが出来ました。

また、キビの入ったお餅に十念というえごまのような穀類でたれを絡ませたお餅なども地元の方が作ってくれて満腹になるまで昼食を楽しみました。

ここで、東和地区の方とは、お別れです。

いよいよ、男性陣お待ちかね?の神聖な儀式『水垢離』に参加するため、木幡隠津島神社へ。

木幡隠津島神社は、木幡地区に約1,200年も続く神社で、地元の方に厚く信仰されている神社です。

ここで水垢離(みずごり)という儀式について。水垢離(みずごり)とは幡祭の前夜、隠津島神社の池や、各堂社の地区にある井戸水や湧水で体を清めるという儀式です。水垢離は、木幡地区にある9つの堂社の持ち回りで行われ、今回は松ヶ作堂社の番ということで、水垢離から参加させて頂くために、松ヶ作堂社の皆様と一緒に参加します。他にも権立ちと呼ばれる今年大人の仲間入りをする人や、他の堂社の方も数名おり、阿部宮司含め全部で33名の水垢離です。後で説明しますが、権立ちは大人の仲間入りと言っても成人とは違うので、年齢は10代~20代とバラバラです。大学受験の前に行う人がほとんどということで、12歳~17歳ぐらいまでに行うのが一般的だそうです。

私達が神社に到着した時は、まだ陽が落ちる前だったので、陽が落ちるのを待ちます。

男性陣は、ふんどしに着替えて儀式に参加するのですが、ほとんどの参加者が初めての経験です。

外の気温は陽が落ちるとともに、洋服を着ていても分かるぐらい、どんどん気温が下がってきます。

この寒さの中、ふんどしのみで外に出て、池の水を13杯体にかけ、身を清める。これだけ聞いただけでも寒さが伝わってきますが、女性は見守ることしか出来ないので、しっかりと応援します。

夜6時、水垢離の儀式が始まりましたが最初は男性のみで阿部宮司から作法などの説明を受けたそうです。

その後、小走りで建物の外に出て、体を温めるために神社から少し下まで走りだします。街頭もなく、月明かりのみの中、男性陣33名が宮司の掛け声とともに走り出します。月明かりのみなので、下から駆け上がってくる集団は、坂の上からだと全然分かりません。足音と掛け声のみが近づいてきます。初めて見る光景に、言葉がありません。坂を上ってきた集団は一旦列を正し、水垢離の池に向かいます。

既に地元の方や、観光客などが池の周りに集まってきています。ここでも宮司の掛け声で、体を温めるような動きを左右で行います。ただし、こちらから見ている限り、参加者が何人も震えていたので体は温まっていないと思いますが、クライマックスの水浴びに突入すると水垢離参加者の気合いが伝わってくる感じでした。

最後は、宮司が池に飛び込み、参加者も池に飛び込み終了です。

池への飛び込みは、自由参加なので、何度も行っている地元の人は、あまり入っていなかったです。

参加者が戻ってきて感想を聞くと、体が冷え切っているだろうに、みんな清々しい顔で、身も心もスッキリしているようでした。なんだか羨ましくも思いました。

この後は、松ヶ作堂社の集会所で堂社の方達との直会(なおらい)です。明日も無事に幡祭を成功させるぞ!というような意味合いや、ご飯の用意をしたり、幡祭に使う幡を縫ったりと裏方の女性を労う意味合いもあるような会。そして、私達も参加させて頂きますので、これは親睦の意味合い。地元の方との話は、どれも興味深くて楽しい。そして、男性陣はお酒が強い。知り合いでも居ない限り、地元の方とおしゃべりをしたり、お酒を飲んだりすることが無いので貴重な経験でした。この直会で、地元の方と仲良くなったので、2日目の幡祭本番が楽しみです。

 


2日目は、幡祭り本番。
集会所に集合すると、すでに地元の男性達は白装束に着替えていました。寒いので、ダウンなどをしっかり着込んだ上に白装束を着ます。
それでも辺り一面、霜が張ってる底冷えのする中なので、寒いと思いますが着々と準備が進められていました。

カラフルな幡を前日に竹林から切ってきた竹に縫い付けたものを、高らかに掲げて、練り歩きます。一番大きなものは、総重量15kgぐらい。
風の影響を受けなくても、結構重いと思うのですが、これをほぼ1日中持ったまま歩くのです。日本男児の腕の見せ所ですかね?

まずは、全ての堂社が旧木幡第一小学校へ集合し、出立式を行います。

9つの堂社の幡が一堂に集まる光景は圧巻です。
陽が出てきた10時頃、小学校を後にし、木幡山参宿所までを約1時間かけて練り歩きます。そしてお酒が好きな人には大歓迎な風習として、各堂社の群れの中に、祝い酒の一升瓶を持っている人がおり、竹を切っただけの酒器でお酒が振る舞われます。一升瓶が空いても空いても、どこからか補充されていて、飲み放題です。
私達女性は、幡の群れについて歩くだけなので振る舞い酒も、そんなに影響は無いのですが、重い幡を持ちながら歩く男性陣は、テンションMAXになる人続出。もちろん地元の男性もです。
そして何より衝撃だったのが、畑や沿道にいるカメラマンの数。プロ・アマ含め、凄い数でした。衝撃的すぎて、写真を撮るのを忘れました。

それはさておき、参宿所の手前で第一の見せ所。
15~20段の階段を、竹の全長約15mの幡を倒さずに立てたまま駆け上がります。振る舞い酒やら、日頃の運動不足やらで、かなりの労力が必要だと思われます。1つ目の堂社から、順番に見せ場を待ちます。
各堂社の総大将の掛け声があってから、いざ出陣!!

この後、少し歩いてからお昼休憩の場所である参宿所でしたが、ふらふらな人も、ちらほら見かけられました。
このお祭りは、伝統のお祭りですが、体力勝負でもありますね。

お昼休憩の後は、羽山神社を目指して、約3時間!
権立という成人の仲間入りの儀式を見るため、私達は堂社の側を離れ、宮司達のいる先頭へと急ぎます。

ここで少し権立(ごんだち)について。
権立とは、昔で言う『元服』にあたるんですかね。
成人式とは違い20歳になる男子の儀式では無く、11歳~19歳ぐらいまでに地元の男子が行うようです。最近では高校受験などもあるので、大体は16,17歳ぐらいに行う人が多いそうです。
地元を離れている若者も、この為に帰省するそうなので、東京出身の私には新鮮かつ、地元のお祭りを大切にしている若者に感動すらしました。

話を元に戻して、練り歩きの集団に戻ります。
午前中は、約1時間の練り歩きでしたが、午後からは約3時間。
しかも舗装されているとは言え、山道を登ったり、下ったり、登ったりで山頂を目指します。。。
車道を歩いている分には、ハイキングみたいで、周りの風景を観賞する余裕もあるのですが、鷹取場から羽山神社までの道のりは、急坂な上に、落ち葉に足を取られたりで、足とお尻がパンパン!
なのに、地元のおばあさんはスピードは遅いものの、息も上がっておらず、マイペースに上っていく。さすがは畑仕事をしてるだけあります。
都会暮らしの私達は、完全に白旗です。
でも、ここまで来たら、権立の儀式も見たいし、幡祭りも最後まで見届けたいし、あとは自分との戦いです。(←おおげさ)

この頂上から、また舗装されていない山道を下り、胎内くぐりの儀式の場所までおります。ここからは、けもの道と言って良いぐらいの道。
足を取られたら、大事故に繋がりそうです。
でも、この胎内くぐりが一番神聖な空気感を感じられた気がします。
某N局の取材班も来ていましたが、足を取られ、斜面をずり落ちていました。それぐらいの場所で胎内くぐりが行われます。

この胎内くぐりの本当の意味は分かりませんが、やはり母親、父親への感謝になるんですかね。そして、ようやく1人の人間として、この世に出ます。というような感じの祝詞だったような気がします。
自分の子供が、この権立を迎えるとなったら、感極まってしまうなぁと思いました。
胎内くぐりが終わると、後から来た堂社の幡グループと合流し、最後の目的地である、八幡山隠津島神社を目指します。
隠津島神社へは何回か訪れていますが、裏山から向かうのは初めてです。陽も翳ってきてきたので、一気に寒さを感じますが、男性陣は、まだまだ熱気があるようです。
そして最後の難関は、三重塔から本殿までの長い長い階段です。
もちろん幡を立てまま駆け上がります。この階段は、普通に登っても傾斜が急で、しかも幅が狭いので、かなりの難関。
これを体力が消耗しているであろう最後の難関にもってくるとは!

本殿の前に、9つ全部の堂社が揃って、宮司による閉会の儀が行われました。今回一緒に幡祭りに参加した男性陣は、このお祭りを通して、一回り大きくなったような気がしました。多分、疲労感もあっただろうけど、それ以上に充実感に溢れていたからだろうなと思いました。
見学だけだったけど、機会があったら、また参加したいなと思います。

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