故郷の味を守り抜き震災を乗り越えた料理人の決意

汐騒の宿 暁園 代表 仁井田康昌さん

「がはっはっは」と豪快な笑い声と笑顔がトレードマークの仁井田さん。愛車の日産シーマからサングラス姿で降りてくると思わず目をそらしたくなるほどの強面ですが、お客さんの喜ぶ顔を見るために日々奮闘中。北茨城市のゆるキャラ(あんこうのこうちゃん)に似てると誰もが口を揃えます。

あうたび人ストーリー

1974年北茨城市生まれ。仁井田さんの実家は、祖父と父が始めた民宿で夏は海水浴客、冬はあんこう目当ての客で賑わっていました。昭和から平成へ時代の流れとともに旅行スタイルも変化し民宿に泊まる客も年々減少を続け、周辺でも廃業する宿が目立ち始めました。

宿を継ぐつもりがなかった仁井田さんは、料理人の道へ進み26歳で上京。いずれは自分の店をもちたいと考えながら8年が過ぎた頃、父親の体調不良のため家業の民宿を手伝うことになり北茨城へ戻る。

3年が経った2011年3月11日の朝。いつも通り魚の買い付けに出たが水揚げがなく、ほとんどない魚がない。その日は満室だったので、仕方なく通常の何倍もする高値で魚を仕入れ宿へ戻る。今思えば、魚が急にいなくなったのは地震の前兆だったと話す。

14時を過ぎて、父親が駅にお客さんを迎えに出た頃、仁井田さんは一人調理場で夕食の仕込みをしていました。 14時46分、今まで経験したことのない揺れが暁園を襲いました。調理中のガスを全て止めて、各部屋のストーブを消して回りました。 幸い津波の被害は免れましたが、建物の損傷は激しく宿を続けるのは困難となりました。

それから数ヶ月間、無我夢中でとにかく身の回りのことをやってきたある時、自分の仕事が無いことに改めて気が付く。地元の先輩や後輩から「うちで働かないか」と誘いもあったが、ひとりで考える時間が欲しいと、千葉県の食品メーカーで荷物を運ぶアルバイトを始める。

それでも地元のことが気になり、休みのたびに北茨城へ戻っていた仁井田さん。先輩から復興補助金があると教えてもらい宿を再建する決意を固める。2012年5月、以前の民宿があった向かいの場所に新しい民宿を建設。震災からわずか1年2ヶ月の速さでした。

しかし、新たにスタートした民宿 暁園でしたが、最初の2年は本当に辛く厳しい状況でした。原発事故による風評被害により、閑古鳥がなく日々でスタッフを雇うこともできません。たった一人で途方に暮れ「さすがにこの時は、死のうかと真剣に思いましたよ。」と当時を振り返る。

その後、2014年の冬頃から徐々にお客さんも増え始め、父親の代からの常連さんも戻ってきてくれました。2018年には、地元の宴会需要を取り込むために、宿の隣にパーティールームを増設。コロナ禍では、冷凍自販機であんこうどぶ汁の販売をスタートするなど次々と新たな策を打ち出しています。今では予約が取れない人気の宿となっています。

北茨城市イメージキャラクター「こうちゃん」にどことなく似ている仁井田さん。市役所から依頼され、ふるさと納税の返礼品として「伝説の郷土料理あんこうどぶ汁・濃厚あん肝」なども提供しています。

こうちゃん
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