青苔荘 山浦雄大さん
北八ヶ岳の山小屋・青苔荘を守る三代目主人。4人兄弟の末っ子らしく、どこか甘えん坊で人当たりの良さが魅力。厳しい自然の中でも、ふっと力の抜けた笑顔で人を迎える姿が印象的です。家族と共に、苔の森と山小屋の日常を大切に紡いでいます。

1991年佐久穂町生まれ。北八ヶ岳の山小屋「青苔荘」三代目主人として、山に暮らし、山を守り、旅人を迎えている。4人兄弟の末っ子として育ち、幼い頃から山と森が身近にあった。高校卒業後は「一度は外の社会を知るべきだ」という思いから隣町の土建会社に就職し、橋や洞門の耐震補強などインフラを支える現場で8年間働いた。それは家業を継ぐ前に社会を知るための大切な準備期間でもあった。

高校生の頃から、いつかは山小屋を継ぐのだろうという思いは心のどこかにあったという。父が29歳で青苔荘を継いだこともあり、自分もそのくらいの年齢になる頃だろうと、ぼんやり思い描いていた。しかし転機が訪れたのは25歳のとき。父・清さんが癌を患ったことを知る。「お前が29歳までは生きられないかもしれない」。病と向き合う中で父が口にしたその言葉をきっかけに、雄大さんは山小屋を継ぐ決意を固める。思い描いていた未来は、思っていたよりも早く現実となった。

25歳で三代目主人に就き、以来10年。山小屋に泊まり込みながら登山者を迎える日々を続けている。苔に魅せられ、髪を緑に染めるほどの愛情を注ぐ姿から、いつしか「苔おじさん」と呼ばれる存在に。自ら広告塔となり、苔と北八ヶ岳の魅力を独自の視点で発信してきました。電子決済の導入など、新しい山小屋の形にも積極的に挑戦している。

近年は登山者の技量低下や観光客と登山者が混在する北八ヶ岳ならではの難しさも強く感じているという。安全と自由、その境界線に日々向き合いながら、過酷な山小屋の働き方そのものを次の世代につなげられる形に変えていきたいと考えるようになった。

山では頼れる主人だが、話してみると4人兄弟の末っ子らしい人懐っぽさや甘えん坊な一面ものぞかせる。厳しい山小屋の仕事を続けられるのは、奥さんや家族の支えがあってこそだ。先代から受け継いだ想いと自分自身の経験、そして家族とのつながり。そのすべてを胸に、雄大さんは今日も苔の森と山小屋で人と山をつないでいる。

