「じゃあ私がやるよ!」軽いノリで始まった老舗和菓子店六代目への道

玉家玉振堂の店内で玉羊羹を手に笑顔を見せる渡邉史絵さん

玉家玉振堂 渡邉史絵さん

「全然違います。私、やる気なかったんですよ。」

玉家玉振堂の六代目、渡邉史絵さんに「子どもの頃から和菓子屋さんになるつもりだったんですか?」と聞くと、即答で返ってきました。和菓子屋の娘として育った史絵さんですが、家業を継ぐ気はまったくなし。卒業後は二本松市内の介護施設で4年近く働き、和菓子とはまったく別の道を歩んでいました。

あうたび人ストーリー

「誰もやらないなら、私がやるよ」

二本松の老舗和菓子店・玉家玉振堂の店舗外観」

史絵さんは4人きょうだいの一番上。当時は「家業は男が継ぐもの」という雰囲気もあり、自分ではなく弟の誰かが継ぐものだと思っていたそうです。ところが20代半ばになった頃、父親から「誰も継がないなら人に譲ることも考える」という話が出て、きょうだい会議を開くことに。

「みんな、やれる?って聞いたら『無理、無理、無理』みたいな感じで(笑)」。弟の一人は、『お菓子を作ることはできても会社経営は無理』と言う。そこで史絵さん、「じゃあいいよ。私やるよ」。あまりにも軽い感じで決まったため、後になって「じゃんけんで決めたんでしょ?」と言われるほどだったそうです。

いやいや、六代目って、そんな感じで決めていいんですか(笑)。

介護の仕事から和菓子職人へ

「玉家玉振堂で和菓子づくりをする渡邉史絵さん」

「やる」と決めたものの、すぐに家業に入ったわけではありません。しばらく実家を手伝った後、製菓の専門学校へ進学。2年間お菓子づくりを学び、卒業後も二本松には戻らず、奈良の和菓子店で約4年間修業しました。

なぜ奈良だったのか。「地元に近いと、私、甘えるので。もう帰れないぐらいのところに行っちゃった方がいいなと思って」。東京でもよかったそうですが、自分を甘やかさないため、簡単には帰れない奈良を選んだのだとか。

20代後半から始まった職人修業。周囲には自分より年下の人も多く、「自分より年下の人に教わったりとかが多かったので、大変でした」と当時を振り返ります。

作るだけじゃない。店を経営するということ

「玉家玉振堂の店内で笑顔を見せる渡邉史絵さんとお母さん、妹さん」

そうして二本松へ戻ってきた史絵さん。待っていたのは、お菓子づくりだけではありません。仕入れ、経理、店の運営。家業を続けていくには、職人としてだけではなく、経営する側の仕事も覚えなければなりません。

「経営しなきゃいけないっていうのは大変でしたけどね」。それでも、家に戻ったこと自体にはあまり違和感はなかったそうです。「もともと生まれた家に戻ってきただけなので」。

現在の代表取締役は、まだお父さん。とはいえ、体調のこともあり、実際の仕事の多くはすでに史絵さんが担っています。「たぶん今年度くらいには代表取締役に変わると思います。でも、まだ嫌だって言ってて(笑)」。周りからは「まだ社長になってないの?」と言われるほど。どうやら本人の気持ちより先に、仕事の方はすっかり六代目になっているようです。


二本松は、実は「お菓子のまち」?

「玉家玉振堂の名物和菓子・玉羊羹」

二本松には、今でもたくさんのお菓子屋さんがあります。史絵さんによると、店舗を構えて営業している店だけでも10軒前後。細かく数えればさらにあり、昔はもっと多かったそうです。

言われてみれば確かに、二本松には老舗の和菓子屋さんや洋菓子店がたくさんあります。でも、「お菓子のまち」として二本松を訪れる人は、まだそれほど多くありません。史絵さんは、そこにちょっとした可能性を感じています。

お菓子を「買う」から「体験する」へ

「参加者に練り切りづくりを教える渡邉史絵さん」

これからやってみたいことを聞くと、「体験系をもうちょっとできたらいいなって思ってるんです」という答えが返ってきました。練り切りを作る。和菓子に触れる。見るだけ、買うだけではなく、自分の手を動かしながら、日本のお菓子の文化を知ってもらう。二本松でもインバウンドに力を入れていることから、外国人旅行者にもこうした体験を届けていきたいと考えています。

ただ、お店の仕事をしながら、突然「明日体験したい」と言われてもなかなか対応できない。そこで史絵さんが考えているのは、自分の店だけで頑張るのではなく、二本松のお菓子屋さんみんなで体験をつくることです。

「二本松全体で体験系、できないのかなって」。例えば日にちや曜日を決めて、この日は和菓子、この日は別のお菓子屋さん。旅行者が「この日にここへ行けば、何かお菓子づくりを体験できる」と分かるような仕組みです。

「お菓子のまち・二本松」。そんな町になったら、かなり面白そうです。

六代目のこれから

「玉家玉振堂で練り切りを手にする渡邉史絵さん」

もともとは、和菓子屋を継ぐ気なんてなかった。介護の仕事をしていた史絵さんが、きょうだい会議で「じゃあ私がやるよ」と手を挙げ、専門学校へ行き、遠く奈良で修業し、二本松へ戻ってきました。

最初から強い使命感があったわけではありません。でも、だからこそ面白い。今では店を守るだけではなく、練り切り体験を通じて和菓子の魅力を伝え、さらに二本松全体を「お菓子を楽しめるまち」にできないかと考えています。

「言うだけならタダなんで(笑)」

史絵さんはそう笑います。

いやいや。「じゃあ私がやるよ」の一言から六代目への道を歩き始めた史絵さんです。もしかしたら、この話もそのうち本当に形にしてしまうのかもしれません。

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