山ファーストで活動する古くて新しい現代版の木こりに出会う

木こり屋八十八 代表 太島重勝さん

新潟県津南町のある宴席で、たまたま隣に居合わせた髭面でワイルドな男。恐る恐る話しかけてみると「木こり」を生業としていると言う。初めて本物の「木こり」と出会いました。

23歳で英語が話せるようになりたいと向かったカナダで天職と出会い、林業を学ぶため森林組合に直談判をしてゴリ押し入社。色々な人との出会い、縁にも恵まれ木こり屋八十八を立ち上げた。思い立ったら即行動する超アグレッシブな人生についてお話を伺いました。

あうたビトストーリー

少年時代

1982年新潟県十日町市(旧中里村)で、二人兄弟の長男として生まれる。体を動かすことが好きで、友達が自転車に乗る中、ひとり走って移動。冬は近くのスキー場でスノーボードや雪遊びをしていました。小学校高学年から中学生まではバスケットボールに打ち込み、高校時代は柔道、バレーボールとスポーツ漬けの日々を過ごしました。

天職との出会い

卒業後は、指輪やアクセサリーなど貴金属製品の加工販売を行う会社に就職しましたが、19歳の時に友達が英語をはなしているのを見て「自分も英語を話せるようになりたい!」と思い立ち、海外渡航費用を稼ぐためガテン系の仕事に転職。土木関係や線路メンテナンスの仕事をして貯金に励む日々。

23歳の時にワーキングホリデーでカナダへ渡航。カナダで庭師の仕事をしていたある日、大きなトラックが目の前に現れ、大男が木に登って仕事をする姿を目にする。「自分もこの仕事がやりたい!」と思ったのが、今の仕事を始めるきっかけとなりました。

導かれてニュージーランドへ

帰国後、まずはチェーンソーの技術を学ぶため森林組合に就職。募集は終わっていましたが、自身の経験と体力を猛アピールし強引に採用してもらいました。ここで5年間、除伐や間伐、植林など様々な山仕事を学ぶことができました。

30歳を過ぎた頃、周囲の人々からニュージーランド行きを勧められたり、偶然読んだ本にニュージーランドのことが書かれていたりと運命的なものを感じ、再びワーキングホリデーでニュージーランドへ渡る。特殊伐採の技術を学びたい気持ちが大きかったのですが、木工アクセサリーやパーマカルチャー、オーガニックにも興味がありました。

1年半の滞在中は経験不足で特殊伐採の仕事には就けませんでしたが、マオリ族の同僚たちと共にパルプ材を伐採するなど世界の林業を経験した。

木こり屋八十八を立ち上げる

帰国後は、自分のやりたい事の方向性を考える時間を持つため林業の世界から少し距離を置くことにしました。食にも興味があったので、市場の仲買の仕事やクラフトビール店などで働きました。二年が過ぎた頃、長野県で高所伐採を学ぶ機会に恵まれ様々な現場を経験。そして、2017年に独立し「木こり屋八十八」を立ち上げました。

屋号の「木こり屋八十八」は、米どころ新潟にちなんだもの。米作りには八十八の手間がかかると言いわれており、その丁寧さに共感し、自分たちも同じように丁寧な仕事をしたいという思いを込めて名付けました。なるべく重機を使わず手道具を使うことで、時間と手間はかかるがそのプロセスこそが大切だと考えています。木と向き合い森を感じることが自分たちの成長にもつながると信じています。

現在、木こり屋八十八では、伐採業務の他に、地元産の木材を用いてパレットを製作し、DIY愛好家や災害対策用品としての販売を予定。また、子供向けに木育イベントを開催したりと事業の多角化を図っています。

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