うみかぜ工作室 大石啓子さん
「楽しいことは大好きです!」といつも満面の笑顔で周囲の人を明るい気分にしてくれる啓子さん。子供の頃から黙って作業をするのが好きで、黙々と石を擦り合わせ薬屋さんごっこをして遊んでいたそうです。

1974年京都市生まれ。父はマネキンの型を作る造形作家、母は看護師で、そんな家庭環境のもとで育ちました。第二次ベビーブームの世代で、同級生も多く、競争の激しい時代でした。「とにかく大学に入れば何とかなる」と教えられ、学習塾に通い詰めました。
その努力が実り、大学附属の高校に進学し、無事大学へと進みました。恵まれた環境の中で、塾にも通い、周りには同じような友達が多く、なんとなく大学に入ることが目標となっていました。充実した大学生活を送りましたが、卒業時には自分のやりたいことを見つけられずにいました。

卒業後は、子供の頃から着物が好きだったこともあり呉服屋に就職しましたが、バブル崩壊の影響で会社の業績が悪化し、退職することとなりました。その後、不動産の受付やガス会社のショールーム運営など、さまざまな仕事を経験しました。

そんなある日、父の工房を手伝うことになりました。工房では、マネキンの材料として使われていたFRP(繊維強化プラスチック)を用いて、ジャグジーバスを製作したり、おむつの開発用マネキンなど、さまざまな造形の仕事に携わることとなりました。この頃、工房内には人間の下半身だけのマネキンが所狭しと並んでいました。
島根へ移住

遠距離恋愛だったご主人と30歳の時に結婚。ご主人の実家のある島根県に移住するも、仕事の関係で県内を転々とする暮らしがしばらく続きました。

ある時、老後の棲家としてある家を買いました。基礎工事は業者にやってもらい、塗装や内装などを自ら行うハーフビルドという方法で建築。少しずつ作業を進めていましたが、家庭の事情もあり未完成ながら、一家4人で移り住むことになりました。
木工との出会い

木工を始めるきっかけとなったのは、2020年に参加した体験教室での師匠との出会いでした。乾燥した木を使って作品を作る師匠に対して啓子さんが選んだのは、生木を用いた器作りでした。地域の方々から譲り受けた庭木や丸太を活かしたいという思いから、グリーンウッドターニングという手法を知り生木ならではの表情豊かな作品づくりをスタート。

生木を使用すると乾燥の工程でひびや割れが生じてしまいます。啓子さんは、それを捨てるのがもったいないと考え、割れた部分に和紙を貼るという独自の手法を思いつきました。それにより一層味わい深い作品となり唯一無二の器になっています。作品作りの傍ら、イベントへの出店など多忙な日々を送っています。