農と醸造で描く 元官僚が見出した本当の豊かさと人の絆

ななくさ農園 ななくさナノブルワリー 代表 関 元弘さん

「ばかやろ〜!」酔うと決まって飛び出すいつものフレーズ(一体何に向かって叫んでいるのか?)。成し遂げてきた偉業の数々からは、想像が出来ないほどの飲ん兵衛なオジサン。言いぱなしが大嫌いで「酒の席で約束した事もオレは必ず守っかんね。」といつでも有言実行で周囲の信頼も厚い。「ベンツは買えなくても、頑張ればカローラくらい買えっからね。」と農家でも努力次第で十分に豊かな生活ができると話す。狩猟免許を取得したり、自宅をゲストハウスに改装したり、夢の実現に向けて着々と準備を進めています。

あうたビトストーリー

1971年東京都生まれ。福島県旧東和町(現二本松市)に移住して18年。東京出身の関さんは、大学を卒業すると農林水産省にキャリア官僚として入省。平均的な公務員より恵まれた給料と約束された将来を手に入れたはずでしたが、数年働くうちに書類の中で生きている自分に違和感を感じ始めました。

そんなある時、人材交流事業で東和町役場へ2年間出向したのをきっかけに、自ら農業をやってみたいという気持ちに。その後、思いは強まり就農先を探した結果、同僚だった妻の奈央子さんと東和町へ移住。官僚の地位を捨て農業の世界へ飛び込んだのは、35歳の春でした。

結(ゆい)の精神が息づく東和へ

ななくさ農園(イラスト奥様作)
イラストは妻の奈央子さん作

移住して最初に借りた畑は、20年以上放置された桑畑で農業を始めるには一から開墾をする必要がありました。桑の木を一本一本取り除くのは容易な作業ではありません。夫婦で気の遠くなるような作業をしていると「大変な事は、一人でやったら駄目だよ」と地元の人が集まり、ユンボ(建設機械)を使って開墾作業を手伝ってくれました。

自宅からの眺め

「東和には、そんな結の精神が根付いているんです。」とここに住むことを決めた理由を関さんは話してくれました。自分がお世話になった分は、新しく新規就農で東和にやってくる人達に返して行くそうです。
※結の精神とは、田植えや稲刈り、冠婚葬祭など人手が必要な時にお互いに助け合うという相互扶助の精神。

醸造家としてのスタート

新規就農してからの数年間、冬になると地元の大七酒造(江戸時代から続く老舗の酒蔵)で蔵人として働いていました。もともと日本酒好きだった事もあり、自分でも酒を造りたいと醸造免許の申請を考えましたが、国の方針などで断念。どうしても醸造家になりたいという思いから、発泡酒の免許に切り替えて申請しました。

ところが申請の直後にあの震災が起こりました。税務署の担当者から「今はやめた方が良いのでは?」と延期を促されましたが、「こんな時だからこそやります。」と強気な姿勢で醸造をスタート。ななくさビーヤと名付け、副原料に柿・ゆず・洋梨など地元で取れた農作物を使い、酵母が生きている無濾過のビールを製造販売しています。

ワイナリーの立ち上げ

2010年のある日、関さんや地元農家が集まり酒盛りをしていると町おこしのために何かやろうという話に。「ワイン造りがいいでねぇか?」ワイナリーなら人がたくさん集まるのではと、農家のおやじ達の夢は膨らみ2012年秋「ふくしま農家の夢ワイン株式会社」が誕生しました。ワイン特区にも認定され、最初は震災の風評被害で行き場を失ったりんごを使い、シードルの醸造から始めました。

設立以来、ワイナリー周辺の荒れてしまった桑畑に、毎年数千本単位の苗木を植え年々規模を拡大。JALの機内誌で紹介され、JR東日本の豪華寝台列車「TRAIN SUITE四季島」で採用されたりと存在感を増してきた。立ち上げから10年目となった2022年に若い世代へ経営のバトンを渡しサポーターに就任。

酒に魅せられて

三度の飯より飲むのが好きな関さんは、酔うと陽気さが倍増します。毎年、冬になると仲間を集めて、プライベート酒蔵巡りをするほど根っからの日本酒好き。畑を耕す合間には、自ら醸したビールを片手に豊かな実りへの想いを膨らませる。酒は単なる嗜好品ではなく、人と人をつなぎ土地の文化を体現する大切な存在。関さんの造る酒には、深い愛情と敬意が詰まっています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次