時代を耕し続け家族と共に歩み農業で田舎と都会の縁をつなぐ

農家れすとらん なごみ庵 菅野 ちゑさん

いつも優しい置賜弁で訪れる人を温かく迎えてくれる山形の「ザ・ばあちゃん」。その風貌は、まるで古き良き昭和の時代からタイムスリップしてきたかのようだ。春から秋はさくらんぼ栽培や稲作などの農業と、冬場はその準備や味噌作りなど超がつくほど多忙な毎日を過ごす。それに加え農家レストランを営み、多くの人をもてなし魅了する素敵な女性にお話を伺いました。

あうたビトストーリー

菅野ちゑさんは昭和22年(1947年)1月、山形県白鷹町で生まれました。母親の体調不良のため、8ヶ月の未熟児として誕生。21歳の七夕の日、地元の男性とお見合いをして長井市のあやめ公園で初デート。翌年の春に結婚し、現在の自宅がある長井市に嫁ぎました。

新居では、義両親とその親(山形弁で「おばんちゃ」と呼ばれる祖母)、そして自分たち夫婦での大家族の暮らしが始まりました。当時は「目指せ7桁農業」と言われていましたが、多くの農家の年収は100万円に満たず、日当1,300円というのも珍しくない時代でした。

この頃、菅野家では豚舎を建てて養豚業を始めました。その後、昭和49年(1974年)には原木椎茸の栽培を開始するため、白鷹町の山を購入して栽培用の木を一家総出で切り出し、自宅まで運んだそうです。ちゑさんは「外国産の安い椎茸が入ってくるまでは、まあまあ良いお金になったんですよ。」と当時を振り返る。

さくらんぼ収穫中のちゑさん

時代が平成に移り変わると、あんずの栽培を試みましたが失敗。そこでさくらんぼに切り替え、苗木を植えてから7年後に初めての収穫。最初に穫れたさくらんぼの味は今でも忘れられないそうです。

令和となった現在、ちゑさんは稲作とさくらんぼを中心に農業を営んでいます。3人の子供を育て上げ、無我夢中で人生を駆け抜けてきたちゑさん。春からは息子が農業を継いでくれると嬉しそうに話してくれました。

農家れすとらん なごみ庵

一緒になごみ庵を運営している高橋さん(右)

当初、近所の婦人会で惣菜などの加工販売を行うために「すももの木」という名前で事業をスタートさせました。しかし、日々の忙しさに追われ、なかなか活動に手が回らず、次第に休眠状態に陥ってしまいました。

そんな中、ちゑさんはグリーンツーリズムという活動に出会います。これは、都市住民が農村地域で滞在し、自然や文化、人々との交流を楽しむ余暇活動のこと。「私がやりたいことはこれだ!」と思ったちゑさんは、農家レストランを立ち上げる準備を本格的に始めました。

準備を進める中で、思わぬ出会いがありました。国の農業統計調査で訪れていた高橋さんが、ちゑさんの計画を知り、「ここで一緒に働きたい」と申し出てきたのです。ちゑさんは最初、十分な給料を払えないからと断りましたが、高橋さんの熱意に負け、最終的には一緒に事業を始めることを決意しました。

こうして、平成19年(2007年)12月25日、ちゑさんが60歳の時に「なごみ庵」がついにオープンしました。開店後から「なごみ庵」は、注目を集め県内だけでなく、県外からも多くの人が訪れるようになりました。遂には、JRのポスターにも掲載されるほどの有名店となりました。

「なごみ庵」が多くの人々を魅了する理由は、ちゑさんの温かい人柄と、彼女たちが提供する料理にあります。お肉を使わない優しい田舎料理のランチが評判です。

単なるレストランではなく、ちゑさんの夢と地域の魅力が詰まった特別な場所。農業と料理を通じて、都市と農村をつなぎ、人々に癒しと喜びを提供し続けている「なごみ庵」は、まさにその名の通り、訪れる人々の心になごみを与える存在となっています。

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