土と炎に魅せられ 伝統と窯の火を守り抜く男の決意

深山工房 つち団子 金田利之さん

こんにちは!深山工房さんを初めて訪ねました。焼き物の先生と聞いていたので、ちょっとクセが強めの人だろうなと身構える。そこに現れたのは、笑顔が印象的でとっても気さくな方でした。陶芸家に弟子入りする企画の相談をすると「俺は、弟子なんか取ったことないからね。」と謙遜する金田さん。

江戸時代に米沢藩の第9代藩主として、困窮した藩財政を再建した上杉鷹山が起こした成島焼の流れを汲む深山焼。その窯の火を絶やすことなく継承する窯元から色々とお話を伺いました。

あうたビトストーリー

1966年山形県白鷹町生まれ。学校卒業後、地元の会社に就職しますが、自分のやりたいことを探して様々な職を経験します。転機は、サラリーマン時代にふらっと立ち寄った東京青山のギャラリーでした。そこで見た陶芸作品の一部が千切れたように斬新なデザインの皿に衝撃を受けます。「これなら俺にも作れるんじゃないか?」という安易な考えから、陶芸に興味を持ち始めました。

それまで陶芸に興味を持ったこともなかった金田さん。地元の白鷹町にある深山焼の工房を知り、深山工房の梅村さん(後の師匠)の陶芸教室に通い始めます。次第に陶芸の奥深さと、その魅力に取り憑かれていきました。

陶芸への情熱が高まる中、金田さんは大胆な決断をします。長女出産のため入院中の妻の枕元で「俺、会社を辞めて陶芸家になるから」と打ち明けたのです。(あのタイミングで話すことじゃないよね。と今では笑いながら振り返る。)

その後、深山工房の梅村さんに正式に弟子入りし、脱サラ陶芸家としての人生をスタート。勉強熱心な金田さんは、他の産地も見てみたいと思い、栃木県の益子焼を学びに行くことにしました。

妻と娘を残し単身益子町での修行を始めて半年が過ぎた頃、家事や育児など忙しく暮らす妻から「あなた、いい加減にしてよね。」と言われてしまう。それからは、家族の住む白鷹町と益子町を行ったり来たりの日々が始まる。

徐々に陶器市などで自分の作品を販売し、陶芸家としての自信を持ち始めた頃、お世話になった深山工房の梅村さんが他界。その2年後の2003年に「深山焼 深山工房つち団子」として金田さんが引き継ぐことになりました。

2011年3月11日の東日本大震災により師匠の梅村さんが築いた登り窯が崩落。多くの支援者と「登り窯復活プロジェクト」を発足し、深山焼を伝承するため窯を修復しました。

脱サラ陶芸家になり師匠から引き継いで20年。試行錯誤を繰り返しながら多くの作品を世に送り出しています。

代表的な焼き物は「干支人形」。毎年、オリジナルデザインで丁寧に手作りされる干支人形は、愛嬌のある表情と独特のフォルムで人気を集めています。

年末には干支人形の製作に追われ、正月休みも返上する程の人気ぶり。昨年最後の干支人形のお渡しは、10月だったとか・・。

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