澄川麦酒株式会社 代表取締役 齋藤 泰洋さん
島根県で開催したクラフトビール列車で齋藤 泰洋さんに出会いました。大手企業のサラリーマンからITベンチャー企業を経て、現在は北海道で、飲食店を経営しながら醸造家として活躍。大手メーカーには造りづらい、小規模醸造所ならでは強みを活かしたビール造りをしています。醸造をスタートして6年「まだまだ、知名度の無さには定評があります。」と笑いながらお話をしていただきました。
脱サラから醸造家へ転身!
1966年奈良県で生まれ、二十歳まで奈良で過ごす。卒業後、大手電機メーカーに就職し順調にサラリーマン人生をスタート。30歳になった頃「日本中にインターネットを普及させてやる!」とまだ世の中にインターネットという言葉が浸透していないころITベンチャーへ転職。会社が成長していく過程で自分の仕事に疑問を抱き独立を決意。
しかし、退職直後にリーマンショックの煽りを受けて、まったく別の業界へ進むことになる。ドイツビールの卸販売・通信販売を経て、札幌で飲食店を立ち上げる。ある人との出会いをきっかけにクラフトビール醸造家の道へ。現在、札幌で飲食店2店舗とクラフトビール会社の経営を行なっている。
ドイツビールとの出会い
二十世紀最後の皆既日食を見に行こう!友達に誘われて、ドイツのミュンヘンへ。天体観測が目的の旅で飲んだドイツのビール。こんな美味いビールが世の中にあるの!?とバナナのような香りがするヴァイツェンの味に衝撃を受る。それからビールにハマり、ドイツだけで13回、その他イギリス、チェコ、ベルギーなどビールが有名なあらゆる国を旅した。
人生の転機
ITベンチャーで働いていた40歳の頃、仕事のポジションが現場から管理職へと変わり、違和感を感じ始めていた。もともと現場に出るのが好きだったこともあり、ストレスから体調を崩すことになる。独立してもある程度稼げる目処は立っていたので、42歳(2008年)の春、思い切って退職。
ところが、すぐにリーマンショックが起こり、当てにしていた仕事がなくなってしまった。幸い失業保険をもらっていたので、しばらく次の人生を模索する日々。趣味のダイビングを楽しんだり自由な時間を過ごしていた。(人生でこんな時間も大切ですよね。と振り返る)
同じ頃、東京の友達がドイツビールを輸入する会社を立ち上げ、札幌方面の営業を手伝うことになる。2009年「輸入酒ひらら」を起業。飲食店向けに卸販売をしていたが、薄利だったので直接エンドユーザーへの販売にも挑戦。当時のAmazonでは、ほとんど酒の販売をしている会社がなかったため大ヒット。順調に思えたが、すぐに大手に模倣をされ一年ほどであまり注文が来なくなった。
それならばと、いつかやりたいと思っていた飲食店事業への参入を決める。準備期間を経て、45歳(2011年)の秋に「ばぁる・ひらら」をオープン。ドイツビールが飲める店として繁盛していった。
日本のクラフトビールとの出会い
ある日、東北に桜を見に行こうと友達から誘われ岩手県の盛岡市へ。地元に美味しいビールがあるからと醸造所の見学に連れて行かれ、そこで飲んだビールが本場ドイツの味に似ていてとても美味しかった。すぐに仕入れ交渉を行い、札幌の店で提供することに。その他、大阪の会社が醸造するクラフトビールも取り扱い、国内のクラフトビールに興味を持ち始めた。
しばらくすると国内でもクラフトビールがブームとなってきて、仕入れたいビールが手に入りにくい状況になっていた。だったら自分で醸造しようという気持ちもあったが、当時安くても数千万円からと投資金額も大きくほとんど諦めていた。
石見麦酒 山口氏との出会い
2017年6月、島根県松江市のビールイベントで石見麦酒という会社のビールを初めて飲んだ。これは美味い!とその場に居た山口工場長に醸造所の見学と仕入れの相談をもちかけた。ばぁる・ひららでは、美味しいと思ったビールをただ仕入れるのではなく、必ず醸造所を見せてもらって作り手の思いを聞いてから提供している。
山口氏から快諾をもらい、お盆夏休みを利用して再び島根へ。江津市にある醸造施設を訪ねると衝撃の光景を目にした。今までに見てきたビール会社とは明らかに異なる醸造スタイル。この方法は、いくらで始められますか?と思わず聞いた。「本当ですか!?その金額で始められるなら、自分も是非やりたいです。」と弟子入りを即決した。
クラフトビール醸造開始
2017年9月新会社を立ち上げ、江津市での研修を受けながら準備に奔走。年明けの3月には醸造免許の交付を受け4月から醸造を開始。自家醸造のビールを自分のお店で提供するスタイルで地元のビールが飲める店として評判になる。製造量も増え2019年の冬、工場拡大のため税務署に移転届を出し年明けに新しい工場となった。この時、瓶ビールの製造設備も兼ね備え、さあ!行くぞと思った矢先にコロナ禍へ突入。
店は、休業を余儀なくされましたが、瓶ビールをはじめていたことで家飲み需要を取り込み、何とかビールの販売を続けることができました。瓶ビールをやっていなかったら、今頃会社がどうなっていたかと当時を振り返る。
現在、醸造をスタートして6年。徐々にファンを拡大し、製造量も限界に近づいてきたので工場拡大など次のステップへ準備を進めているそうです。「まだまだ、知名度の無さには定評があります。」と笑いながらお話をしていただきました。
澄川麦酒のコンセプト
澄川麦酒ではどのようなビール造りをコンセプトとしているのか。麦芽をしっかり使ったフルボディのビール、副材料を贅沢に使ったビールなど、大手メーカーには造りづらい、小規模醸造所ならでは強みを活かしたビールを造りたいと思っています。
たとえば、澄川麦酒のひとつの特徴と言えるのですが、道産素材を用いたビールに積極的にチャレンジしてきました。北海道の農家さまや珈琲焙煎士さまなどとのコラボビールは、私たちも作っていてワクワクします。
長く商売をやっていれば、「売れるビール」はある程度目処がつきますが、そうではなく、「自分たちが造りたいビール」「お客さまに紹介したいスタイルのビール」をしっかり造っていきたい、そんな思いで日々ビールと向き合っています。