兄弟の絆で育む伝統と革新-老舗酒蔵の六代目

黒澤酒造 代表取締役社長(6代目当主)黒澤孝夫さん

2018年に最初のツアーでお世話になり、コロナ禍では日本初の特産品セットが届くオンラインツアーに全面協力をいただくなど、あうたびには欠かせない存在。弟で杜氏の洋平さんと二人三脚で蔵人を束、酒造りに励んでいます。江戸末期から続く黒澤一族の歴史など色々とお話を伺いました。

あうたび人ストーリー

1974年代々続く酒蔵の長男として生まれ、地元の高校を出て醸造について学ぶため東京農業大学へ進学。卒業後は、当然家業を継ぐつもりでいました。大学時代のある時、先生から就職先として漬物メーカーを紹介されました。ちょうどこの頃(1996年頃)、全国で地ビールがブームとなり、この会社も新規事業としてビール製造に乗り出すという話でした。

勉強のため異業種を見てみたいという思いと地ビール製造という新規事業に興味があり漬物メーカーに就職。ところが、入社直前に家業が酒造会社だということが知られ、地ビールを製造する部署へは配属をしてもらえませんでした。

それから数年ほど漬物のレシピ開発などに携わり退職。2001年黒澤酒造に6代目として入社し、同じ年に弟の洋平さんも加わり兄弟による酒造りがスタート。2002年には、孝夫さんの発案で米作りから酒の仕込みまでを体験してもらうオーナー制度「八千穂美醸会」を立ち上げました。

自社栽培の田んぼ

前職のノウハウを活かして、漬物製造免許を取得「しろうり」「みょうが」の粕漬けも発売。海外輸出用だった「くろさわ」をブラッシュアップして「黒澤シリーズ」として再リリース。特約店のみで手に入る希少なお酒として人気を博しています。

2019年には、佐久SAKE Aging研究会を発足し近隣のダムを活用したダム貯蔵を開始。2023年社長就任から10年の節目を迎えますますの活躍が期待されます。

黒澤酒造株式会社

黒澤酒造は、江戸時代末期の安政5年(1858年)初代 黒澤 利佐衛門により酒造りが始まった。明治に入ると生業を拡大し、銀行、呉服、酒、味噌醤油、薬を扱う総合的に商売を展開していく。屋号を丸登(マルト)と定め五家が日の出の勢いで発展するよう命名した。

やがて利佐衛門は、5人の息子たちに商売を分割し、長男の鷹次郎は銀行業、次男の羽三郎は呉服太物卸業、三男の嘉四蔵は酒造業、四男の陸之助は味噌醤油醸造業、五男の弥八郎は、薬品卸業を営むこととなった。長男の鷹次郎が営んでいた黒澤銀行は、現在の八十二銀行の母体となった。

酒造業は、三男の嘉四蔵が2代目当主となり、現在の孝夫で6代目となる。創業以来昔ながらの「生酛造り」に力を入れ、千曲川の軟水と長野県産の米に拘った酒造りをしている。

黒澤酒造ホームページ https://kurosawa.biz/

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